下川裕治のタイ発日本行き 機上にて

スラムで育ったポーンの話 第12回

東京からバンコクに向かう便に乗るたびに思う。タイ人は本当に豊かになった……、と。特にタイ国際航空に乗ると痛感する。彼らはいっぱいの土産を手に、スワンナプーム空港に降り立つ。
25年ほど前、僕はバンコクに暮らしていた。そしてときどき空港にタイ人を迎えに行った。ドンムアン空港の時代である。

ポーンもそのひとりだった。1年ほど前、茨城県に住むタイ人の知人から連絡が入った。「女性がひとり病院に担ぎ込まれた。様子を見てきてほしい」。取材のついでに病院を訪ねた。彼女は結核病棟のベッドにいた。まるで死期が迫った癌患者のようにやせ細っていた。同行したカメラマンは、とても写真に撮れないと呟くようにいった。

医師は結核だといった。不法滞在。入院の保証人欄に僕の名前を書いた。そのとき、僕は日本人が少し好きになった。彼女は結核などではなかった。しかし法定伝染病なら治療費がかからない。

知人のタイ人によると、ポーンは売春スナックで働いていた。病気の原因は酒の飲みすぎだという。酒だけで、あれほど痩せ細るのだろうか。幸い、ある写真雑誌が彼女を取材してくれることになった。取材謝礼は、タイまでの航空券代といういつものパターンだった。

タイ国際航空で帰国した。ドンムアン空港で出てきた彼女は杖をついていたが、だいぶふくよかになっていた。僕のアパートで1泊し、ポーンはビールが飲みたいといった。

「1杯だけ。お願い」

日本語でそういった。迷ったが、近くの食堂に入った。ポーンは本当に1杯だけでコップをテーブルに置いた。

翌日、一緒にチョンブリーにある彼女の家に向かった。3年間、連絡も入れていないという。スラムだった。家には年老いた父親がいた。17歳の娘と10歳の息子……。そして娘には1歳の赤ちゃん。きっと赤ちゃんの父はいない。

5年ぶりに突然戻ってきた母親に、皆、無言だった。ポーンは自分が写った写真雑誌を見せた。骨と皮だけといった体でベッドに横たわる姿。満開の桜の下で車椅子に座る光景……。写真は彼女が治癒していく月日を追っていた。「日本の病院が助けてくれた」と父や娘に話す。皆、無表情で聞いている。

土産は息子へのサッカーボールひとつだった。受けとった息子は、自転車が欲しいといった。皆、ポーンは大金を持ち帰ったと思っている。

辛かった。ポーンはまた酒に手を伸ばすような気がした。彼女はまだ36歳だった。


旅行作家・下川裕治の往復便 ー タイ発日本行き 機上にて
しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。

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