僕は今、アメリカのユナイテッド航空のプログラムにマイルを貯めている。東京とバンコクを往復するのに一番多く乗った航空会社だったからだ。
ユナイテッド航空を選んだ理由は単純だった。両都市をつなぐ直行便のなかではいつも最安値グループだったからだ。バンコク到着は深夜、出発は早朝というつらい時間帯のフライトだ。が、安さを優先すると、そうなってしまった。
当時のユナイテッド航空は、アジアに多くの路線をもっていた。ハブは東京の成田空港だった。アメリカ各都市を出発した便は東京に集まり、そこからバンコク、シンガポール、香港、上海、北京、台北、ソウルなどに向かった。
日本人のバックパッカーブームを支えたのも、ユナイテッド航空と、今はデルタ航空になったノースウエスト航空だった。バンコクとシンガポールのオープンジョー航空券が安く、バンコクとシンガポール間は陸路移動という旅が流行した。
ところがその後、ユナイテッド航空の東京飛ばしがはじまる。長距離飛行が可能な機材に切り替わっていったという背景もあるのだが、東京からの集客に頼らなくても、アジア各都市からダイレクトにアメリカに向かっても席が埋まるようになったのだ。日本の衰退というより、アジア各国の経済成長の結果だった。
そのなかで、バンコクが消えていってしまう。ユナイテッド航空は、上海、香港、シンガポールなどからアメリカへの直行便が就航させていくのだが、バンコクと東京を結ぶ便がなくなり、バンコクからアメリカに直行する便も飛ばなかった。バンコクから撤退してしまったのだ。ビジネスクラスの集客が悪かったのかもしれない。
ユナイテッド航空でバンコクを往復していたとき、さまざまなアメリカ人が隣に座った。黒人の老人ふたり連れから相談されたこともある。
「結婚するんです。タイ人女性と。60歳になってね。金の工面にシアトルに帰るんです。とりあえず5万ドル。結婚式にそれだけかかるって」
「そんなにかからないと思うけど」
「やっぱり……」
老人のひとりは溜息をついた。そして、
「でも、いいんだ」
僕はいまだユナイテッド航空のマイレージカードを使っている。こだわりがあるとすれば、あの時代のにおいである。
旅行作家・下川裕治の往復便 ー タイ発日本行き 機上にて
しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。