下川裕治のタイ発日本行き 機上にて

旅は始めるよりやめるほうが難しい 第9回


タイと日本を往復する航空券を、僕はタイで買っている。そのほうが安かったからだ。搭乗便の変更なども、タイで買った航空券は無料ということが多かった。しかしそんな話は昔語。10年ほど前から、タイで航空券を買うメリットはなくなってしまった。世界の航空券の均一化が一気に進んだからだ。LCCの登場も、それに拍車をかけた。

しかし僕は今でも、タイで航空券を買っている。理由? 日本から海外に出向くときの帰国便を出発のときに決められないからだ。旅が仕事だから、日程がずれることが多い。

しかしもっと大きな理由がある。帰国便を決めたくないのだ。そういう旅を続けてきた。帰りは日程を変えることができるオープン航空券にするか、片道航空券を現地で買うか……。

旅は始めるより、やめるときのほうが難しい。これは1年に及ぶような旅を経験した人がよく口にする。長い旅を計画したわけだから、資金的には余裕がある。だからこそ、帰るきっかけが見つからない。いつまでも旅の空を眺めていたいとは思うが、旅に飽きてもいる。旅が日常になり、色褪せてくる。長い旅の最後は、うじうじした状況に陥ってしまう。

帰ったら働かなくてはならない。そうしないと、社会からドロップアウトしてしまう。しかし日本社会はあまり好きじゃない。半端ない閉塞感。でも日本人の多くは、その社会で生きている。長い夏休みはもう終わり? 長い旅の最後に買った帰国用航空券は、そんな葛藤の産物である。

それがタイで航空券を買うことにこだわる理由だ。しかし、その代償はある。日本でチェックインするときに必ずこう訊かれることだ。

「帰りの航空券はお持ちですか?」

タイで帰りの航空券を買うのだから、そんなものはない。しかし、僕がタイに入国を拒否された場合、航空会社の負担で帰国させなければならないルールがある。簡単には搭乗させてくれない。

僕は決して使わないバンコク発ペナン行きの航空券をもっている。日本航空のノーマル航空券。1年に1回購入し、有効期限が切れる前に払い戻す。日本に帰る航空券がなくても、タイを出国する航空券を持っていれば問題ない。そこでペナン行きというわけだ。どうせ使わないのだからどこでもいいのだが、僕は近いペナン。航空会社側もわかっていて、あうんの呼吸のなかでチェックインが進む。こんなことを10年も続けている。


旅行作家・下川裕治の往復便 ー タイ発日本行き 機上にて
しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。

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