沖縄の沖縄らしさが失われつつある。ここ10年ほどで、僕が好きだった沖縄が次々に消えている。沖縄返還から45年。その年月とはこういうことだったのか。
たとえば沖縄そば。ショッピングモールのフードコートに出向く。いくら探しても沖縄そばの店がない。あるのは、うどんやそばの本土のチェーン店ばかり。
「こんなことでいいの? 沖縄そばは沖縄の県民食っていってたじゃない」。沖縄で生まれ育った知人に水を向ける。
「本土のうどんもうまいよー」
そういうことじゃないんだけど……。
以前、よく、東南アジアから沖縄経由で帰国していた。アジアから直接、東京に帰ることが怖かった。那覇でとろとろと泡盛を飲みながら、社会復帰のリハビリに励んだ。沖縄は本土とアジアの中間にある島だった。
当時、アジアからの沖縄への就航便は、台湾のチャイナエアラインだけだった。台北から那覇まで1時間弱。しかし席の確保が大変だった。半数は休暇を手にしたアメリカ軍基地の兵士やその家族だった。彼らは台北で乗り換えてアメリカや東南アジアに向かった。残りは基地で働くフィリピン人。そして台湾人の担ぎ屋おばさん。沖縄の人はわずかだった。
バンコクと那覇を結ぶLCCのピーチ・アビエーションが就航したのは、2017年だった。以来何回か乗っている。バンコクの午前1時台に出発し、朝の8時前には那覇に着いてしまう。わずか4時間半。乗るたびに思う。タイからそう遠くない……。
乗客の大半はタイ人。日本人や欧米人は2割もいない。タイ人の多くは那覇で乗り換えて本土に向かう。ただ沖縄に滞在する人もいる。
タイ人にとって沖縄は日本だ。だからイオンモールで化粧品や日本のお土産を買い、本土のラーメンチェーン店に入る。消えゆく沖縄には興味がない。それを目にした沖縄の知人はこういった。
「沖縄そばを食べてほしいさー」
先立って、本土のうどんがうまいといった彼である。沖縄にやってくるタイ人は、沖縄の人たちの島を愛する意識を刺激している。
旅行作家・下川裕治の往復便 ー タイ発日本行き 機上にて
しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。