バンコク近郊でローカル気分満点の散策を! あの町、その通りに、すうっと日常から離れられるエスケープスポットがあるはずだ。今年最後の1日は、乗り物次いで大人の男がさすらった。
旅して書く係 矢野かずき 映画、TVでも活躍する舞台俳優さん
おすすめ係 テンモー 編集部のシニアリサーチャー
BTSシーロム線がチャオプラヤー川を越えて2駅目が最終駅のウォンウィエン・ヤイだ。ウォンウィエン・ヤイという名のロータリーが近くにあるからこの名をとった。けれどもBTS駅はその名前とは裏腹に、実はそのロータリーまで歩いて10分以上かかる場所にある。BTSを降りたらタクシーで国鉄ウォンウィエン・ヤイ駅を目指す。5分ほどで着き、そこから列車に乗って1駅目。目的地はすこぶる近い。
1駅、3分、3Bの旅
国鉄ウォンウィエン・ヤイ駅には境がない。プラットホームと鉄路の段差は30cmの高さもなく、改札口もないから列車は停車すると左右のドアを開けっぴろげに開く。
人々はホームからも、鉄道の横を走る道からも列車によじ登ってくる。1時間に1本、列車は出る。ディーゼルの轟音とかすれた汽笛をときおり鳴らしながら、上下左右に揺れつつ列車は進む。目的地まではたった1駅、3分、3Bの旅だ。
その旅はトンネルを抜けることから始まった。列車は人家の垣根やひさし、洗濯物や窓枠や庭の木々でできたトンネルを掠めたり弾いたりしながら走るのだ。前が見えない。横も見えない。後ろはどんどん遠ざかる。トンネルを抜けたなと思ったとき、列車は停まる。タラート・プルー。食い倒れの街だと聞いていた。
一本櫂ばあちゃん
駅舎とひとつ屋根の下、お菓子、麺類、焼き物、蒸し物、確かにあらゆるものがあった。つくってその場で売る、食べる。朝夕にはたいそう賑わうだろうと思う。けれど何か、それだけではない街の匂いがした。よし、行こう。合言葉は「ナー・サヌック(面白そう)」だ。
駅舎を離れ、メインの通りを外れて細い小道へ、東西南北お構いなしで足を進める。人がやっとすれちがえるような小道をわざと選んで右へ左へ。
まず行き着いたのは川。干してある洗濯物の先は運河だ。川べりに立つ。対岸の緑が濃い。後ろから来たおばあちゃんが、何をしてるの、と訊く。川を見てます、と答える。ほほんと笑っておばあちゃんは繋いである小船を引き寄せ始めた。買い物袋を投げ込み、よろよろと船に乗ると、仁王立ちのままで一本の櫂。流れをうまく利用しながら対岸に着く。思わず拍手の手腕だ。
商人、行き当たりの街
この街では、道に迷って立ち往生することはまずない。どこかでメインの通りに出るか、川に行き当たるかだ。そしてすぐに気づくのは、商人の街、華僑の街であること。市場が午睡に入るころ、裏の路地では明日に備えて材料の仕込が続いている。暗い家屋の中を覗くと必ずといっていいほど紅い灯が壇に燈っている。狭い地域にいくつかの中華廟がある。
陽光の下に暗く続く路地のなか、ふと行き着いた漢方薬局はラマ5世の御世から4代続く店だった。客は一人もなく、手垢と年季と埃にまみれていたが、引き出しの中からは快刀乱麻の香りがする。暇をもてあましていた店主は饒舌だった。昔は運河に船が着き、この街から全土に向けて貨物が発送されたのだという。そんな歴史があちこちにある街なのだ。食い倒れの街ではなく、行き当たりの街だといいたい。路地を歩くと必ず何かに出会うのだ。試されているのは自分の感性。サークルゲームだ。わたしはこの半日で、これまで培ってきたものを試されたのだ。