移動した距離だけじゃない。大切なのは自分からどれだけ離れることができるか。それによって自分をよく知ることができるから。
時間だけじゃない。大切なのはどれだけ深く自分を観察したか。今回のワンデートリップは瞑想寺での心の旅。30分以内で到着する庭園の別世界を案内します。
旅して書く係 編集部 車幹次郎
最近、プールでの飛び込みに夢中。うまく飛び込めた瞬間は水と一体になり体重がゼロになるんだ。
お寺で常楽我浄は得られるのか?
心の平静さを求めるならまず「お寺」というのがタイ人の発想だろうが、たくさんの人達が願いごとをするせいか、集まる邪気も多いような気がしてならない。だれがいくら寄付したかマイクを使って朗々と読み上げている寺もある。 「そうなんだよ!」と納得される紳士淑女の皆様。エカマイからタクシーにひょいと乗り、「Soi Vacharaphol (道路標識によってはWacharapholとも表記される)=」と告げてみよう。30分もしないうちに寺のない瞑想寺、サティエン・タムマサターンに到着だ。
細道の奥にクリスタル(?)な空間が!?
敷地の入り口は大学の門の中にゲゲゲの鬼太郎の家があるようで、三流テーマパーク並に異様だ(入場料無料)。そこに一歩足を踏み入れたなら、敏感な人は外界とまったく遮断されているのを感じとるだろう。まずは右へ。わらぶきの整然とした売店を軽く流しながら、奥へ進むと、細道の奥に洞穴を模した筒状のオブジェ。そこをくぐるとガラスのピラミッドのような建物に通じており、線香やタイガーバームの臭い、子供の嬌声や野良犬のいないクリアな空間を、先ほどの蓮を手にした数人が小さな仏塔の周りを歩きながら瞑想している。そこから美しい芝生の公園が見えたが、さっき来た道を通って入り口に戻る。
左手の冷房が効いた売店に人気のオーガニック石けんが売られていた(25Bだもん、髪を洗うのにオレも欲しい)。
無、雑念、無、雑念、無…
ここまでは余興だ。いよいよ庭園の中に入る。庭園内は許可を取らないと撮影禁止だが、家族で来ている場合、思い出としての家族間の撮影はいいらしい。いたるところに水が霧状に噴出される装置を忍ばせているため、湖畔のような涼しさがある。
さて、大きな東屋がある。柔らかい風の渡る中、マッサージされている人もいた。そしてその右手には中央に仏像が安置された瞑想堂。数十人が一斉に昼寝かな? と思ったが、横になって瞑想しているのだそうだ。あと数十分すると庭園を歩く瞑想が始まるらしい。自分の呼吸とそっと前へ出す右足左足に意識を向け、そこから意識を逸らさない。そうすることで自分が生み出した良くない感情や情念を冷静に、客観的に見ることができるという。雑念と三流アイディアの宝庫の自分にも、この方法の合理性がなんとなく理解できる。
庭園の小道を歩く。
気温はとうに30度を越していると思うが涼しい。案内役として先導してくれるメーチー(尼)の後姿と自然の調和に「絵になるなぁ」と撮影しながら修業者のように自分もゆっくり気持ちのいい林道を歩く。呼吸に意識を集中しているつもりがついつい雑念が生じる。
雑念スタート。
さっきの東屋。ああいう場所がリゾートの原点なのだ。リゾートの設計というものはこの庭園のように心を再構築するようなものが芯にないとできないのだ。メディテーションがここの核なのだから、ここに来れば高級リゾートを心から使いこなせる(……だんだんエスカレートしてくる)リゾートっていうのは場の発するエネルギーと自分の魂の交流だ!
素晴らしい「気」の真ん中にいく
……気がつくと別の東屋の前にいた。自然と一体になる3泊4日の自然療法セミナー(4000B)に参加する老若男女の集いの場だった。医師が参加者の血圧を計り、進められてゆく。体中に泥を塗るデトックス。バイヤーナームと呼ばれる青汁の摂取。オーガニックの食事や体調を整えるための民間療法、小さなコップ一杯の水で体の内外を清める練習。これらが瞑想と有機的に結びつき、体の中の治癒力をググッと引き出すらしい。 日本は世知辛いらしい。私は生きるということは本当は楽しく素晴らしいものだと信じている。物質界というのは、人間の発する「気」が具現されたものと仮定するなら、ここにはたくさんのすばらしい気が満ち満ちて交錯しているようだ。
本日のワンデー心の旅、これにて終了。