1985年生まれ。2008年に渡タイし、プロフットサル選手となる。2011年、タイで「LaLa Clasico Co., Ltd.」を創業し、サッカーとアパレル事業を軸にアジア各国へビジネスを拡大。19年にはドバイに支社を開設。
2008年の大学卒業後、アジア屈指の実力を誇るタイのフットサルリーグにプロ選手として参戦。引退後、タイで起業した真野浩一さんのもとにサッカー選手のエージェント依頼が届いた。これまでに総勢130名をアジア17カ国へ輩出。異国の地で、新たな道を切り拓く。
僕は高校まではサッカーに打ち込み、フットサルを始めたのは大学からでした。友人からフットサルの試合で助っ人を頼まれたことで、一気にのめり込んだんです。ただ、当時の日本ではまだプロリーグが発足されておらず、プロ選手になるという選択肢は一切ありませんでした。
けれど大学3年時に友人と旅行で訪れたタイで「2006年にプロフットサルリーグが開幕した」ことを知り、初めてフットサルのプロ選手を意識するようになりました。タイに知り合いはいなかったので、当時タイリーグに出場していた日本人選手へコンタクトしたところ、いろいろな情報を教えてくれて。その繋がりで2008年にタイへ渡って、強豪クラブ「バンコク・グラス」の練習参加からプロ契約へと繋がりました。
ところが、結果が出せず1シーズンで解雇。外国人選手枠として求められていたレベルに至らず、また「プロになる」ことだけを目標にしていたため、実現した後にうまく気持ちがついて来なかった。そこで引退を決心しました。その先で、アパレル事業に注力することは決めていたんです。実は、大学時代から国外で買い付けた服を日本で販売しており、タイ移住後もそれを継続していました。自分の身に何が起こるか分からないので、常に準備をしておきたかった。そうして2011年、自身の会社「LaLa Clasico Co., Ltd.」を設立しました。その一方で、サッカースクールの運営やタイリーグにおける日本人選手の契約サポートなどサッカーとの関わりは続けてきました。
エージェント事業が動き出したのは全くの偶然なんですが、会社設立の翌年に日本のサッカー留学会社からコーディネートの依頼を受けたことがきっかけで、学生に対するエージェント・遠征事業がスタート。いま日本のプロサッカーリーグにはJ3のカテゴリーまでありますが、当時はJ2までしかありませんでした。プロの扉を開きたい選手たちの受け皿として海外でのエージェント事業は予想以上に需要があり、自分が貢献できるフィールドだと感じました。
エージェント業の根幹は「人」
世界から頼られる存在を目指す
元プロ選手だったことがエージェントとして成功するかどうかに直結するかというと、そうではありません。しいて挙げるとすれば、高いレベルの選手目線でトレーニング内容などを共有できるため、信頼関係が築きやすいのかもしれませんが、ようやく手応えを感じられるようになったのはここ数年のこと。特に初期は、トライ&エラーの繰り返しでしたね。
僕の役割は目の前の選手の価値を高め、「プロとしてステップアップ」させること。クラブが今、どんな選手を求めているか。常に最新情報を調査し、そこで選手が最大限のパフォーマンスを発揮できるかを分析することが第一。選手一人ひとりのプレイスタイルは当然のこと、性格や考え方に加えて生活面までニュートラルな目で理解・把握し、話し合いながら最適なクラブを導き出しています。契約締結は、選手にとってゴールじゃなくスタート。その後、いかに結果を残せるかが勝負だと伝えています。
本格始動してから8年の間に総勢130名、アジア17カ国のクラブと契約を交わすことができ、今では世界中から問い合わせが来るようになりました。ただ、例えばタイリーグに挑戦したいと連絡をもらったとしても、その選手のタイプを客観的に見て、時には他の国を提案することもあります。選手の選択肢を増やし、可能性を広げることも仕事の一つ。「真野に頼めば大丈夫」と思ってもらえる存在になれれば…。そして、送り出した選手がアジアチャンピオンズリーグの頂点に立つこと、何らかの形で日本代表のW杯優勝に貢献することが現時点での最大の目標です。
またエージェント業とは別なのですが、2014年に立ち上げたフットサルコミュニティ「グッドモーニングFC(GMFC)」も運営しています。ただフットサルの場を提供するだけでなく、「在タイ日本人コミュニティ活性化の一助となる」がコンセプトです。週4回活動しているのですが、月間平均のべ500人を超える参加者が集まるようになりました。サッカーと一緒に、タイに住む日本人同士の繋がりも深めていきたいですね。