1984年生まれ、熊本県出身。2011年にタイに渡り、プロ選手としてタイリーグでプレー(チョンブリーFC~ソンクラー・ユナイテッドFC~タイ・ホンダFC他)。19年からはコーチとしてチェンライ・ユナイテッドFC~カセサートFCなどで活動中。 instagram: daikihiguchi twitter: @higu48
小学3年生からサッカーを始め、いつの日か芽生えたプロ選手への想い。「プロになりたいという夢をタイが叶えてくれた」と語る樋口大輝さんは、2018年にプレーヤーを引退し、翌年から指導者としてのキャリアをスタート。「何が起こるか分からない」というタイで、樋口さんが挑む道について。
僕が社会人として初めて所属したチームはJFL「ガイナーレ鳥取」です。そこで出逢った当時の監督が、タイサッカー界の巨匠的存在であり、日本や欧州リーグでプレー経験があったタイ人のヴィタヤさんでした。彼のサッカー観がとても面白く、タイへ帰国した後も親交は続いていました。そして僕がプロ挑戦を決めた頃、ヴィタヤさんから突然「また一緒のチームで戦わないか」と連絡をもらった時は、とても驚きました。事前に相談していたわけでもなく、本当に奇跡的なタイミングだったので。そうして2011年1月、「チョンブリーFC」のプロ選手としてタイへ渡りました。
プロ生活を送る一方で考えていたのは、自身のセカンドキャリアのこと。選手として輝ける時期はそう長くはありません。18年には、選手活動と並行しながら日本サッカー協会(JFA)公認のC級指導者ライセンスを取得(現在はB級)。引退後の道筋を前述したヴィタヤさんに相談したところ、分析コーチとしてチョンブリーFCで働くことを認めてもらいました。さまざまな岐路で、彼とは強い縁を感じますね。
指導者としてはその後、アシスタントコーチとしてタイリーグの覇者であり、AFCチャンピオンズリーグ(以下ACL)に出場した「チェンライ・ユナイテッドFC」、カセサート大学が運営する「カセサートFC」で経験を積みました。分析担当の頃は選手へ直接アドバイスを行う場面はなく、監督とのやりとりが主。自分の分析が現場でどのように反映されるかは裁量外であり、振り返れば少々もどかしさもあったかもしれません。〝分析の先〟を投げかけられるのがコーチであり、今の環境にやりがいを感じています。
監督を目指し日々邁進
チームをアジア1へ
コーチとしての一番の役割は技術的な面はもとより、総合的には監督と選手を繋ぐことだと考えています。選手が監督に言いづらいことは僕が吸い上げて伝えますし、その逆も然り。僕自身が選手とスタッフ双方を経ているからこそ、どちらの気持ちも分かるので、その橋渡しになろうと意識しています。監督の仕事って、外から見る以上に孤独なんですよね。チームの負けは自分の責任、自分の手腕が結果に直結すると見られているから誰にも頼れない。コーチは、そんな監督の右腕としてコミュニケーションを図るべきだなと。
初めてコーチに就いたチェンライ・ユナイテッドFCは選手それぞれが自律した、タイNo.1の完成されたチーム。その後に在籍したカセサートFCは、平均年齢23歳と将来性を見据えた若いチーム。その両方を経験できたことは非常に貴重な機会でした。特にコーチとしてまだまだ駆け出しの自分にとって、今は選手の育成を考えながら共に成長できる後者のようなチームでの実践が必要だと考えています。技術や経験で他のチームに遅れをとっている分をいかに補い、結果を出せるか。
ただ、当然コーチという立場に留まるつもりはありません。いずれは自分が監督としてチームを率いたいですし、最終的にはアジアNo.1を決めるACLの舞台に立ち、そして優勝したい。もちろん、一足飛びでそこに到達することはできません。一つひとつ、自分のなかで掲げたステップをクリアしていきたいと思います。