男と女の学際研究 ~現役学者が微笑みの国を考察!~
5人の現役研究者が「日本男とタイ女」をテーマに、いろいろな角度から考察する連載コラムです。
経営学 林 拓也
日本男がタイ女と出会う機会の多くは、日本男がタイを訪れた時でしょう。
タイは階層社会だと言われていますが、観光客としてタイを訪れた日本男にとって最もアクセスしやすいタイ女は、当然その階層社会の中でも低いところに位置する夜の蝶であることは容易に想像がつきます。
しかしそこに、両者の間で色々な摩擦の起こる原因があると考えます。
「観光の論理」と「生活の論理」
須藤(2012)に従えば、観光とは「他国、他郷を訪れて行う、非日常的経験」と定義されます。
日本においての労働を中心とした生活、つまり家と会社の往復という日常の世界から離れ、常夏で椰子の木と美しいビーチが広がり、街には活気ある屋台が並び、日本とは異なるきらびやかな寺院が建ち、そして夜には美しい蝶達が舞う、そんな非日常世界を求めタイへ訪れる。それが観光客としてタイ女へアプローチする一部の日本男です。
しかしそこで忘れてはならないことは、観光客はあくまでも「観光の論理」に基づきながらタイで行動しているという点です。
一方で夜の蝶達は「生活の論理」に基づきタイで暮らしており、それが彼女達にとっての日常世界です。だからこそ夜の蝶達は、一種の舞台装置といえる彼女達の仕事場、つまり歓楽街でゲストである観光客を楽しませるための演出をします。
日本男は時として、そんな彼女達の演出の根底には「生活の論理」があることを忘れてしまいます。従って、時折彼女達が油断した時に見せる裏の顔、つまり「生活の論理」を目の当たりにした時、両者の間には摩擦が起こります。「約束と違うだろ」そんな言葉が日本男から発せられるのは、この様な瞬間なのです。
あるいは、彼女達の演出を見抜く一部の日本男は、その舞台裏にある彼女達の「生活の論理」へ積極的に近づこうとします。そして仮に近づけた時、彼らは「自分は彼女と本当にリアルな付き合いをしているんだ。他の奴らとは違う」と感じるのです。しかし相手は強者のパフォーマー(演出家)です。その「生活の論理」ですら演出しているのです。
要するに、ほかに代わりがある「観光の論理」は、選択肢の限られている夜の蝶の強靱な「生活の論理」にそもそも太刀打ちできるはずがないのです。
参考文献:須藤廣(2012)『ツーリズムとポストモダン社会 後期近代における観光の両義性』明石書店









