男と女の学際研究 ~現役学者が微笑みの国を考察!~
4人の現役研究者が「日本男とタイ女」をテーマに、いろいろな角度から考察する連載コラムです。
日本文化学 岩井茂樹
昔は「白象の国」「黄衣の国」
タイでは男女を問わず多くの「微笑み」を見つけることができますね。「ああ〜、日本では失われた笑顔がここにある」と心癒された方も少なくないかもしれません。今ではすっかり定着した感のある「微笑みの国」というフレーズ。これが定着したのは、いったいいつ頃のことなのでしょうか。
その答えを紹介する前に、まずは「微笑みの国」となる前のことを紹介しておきましょう。タイは長い間、「白象の国」または「黄衣の国」と呼ばれていました。それは「白象」や、僧侶の着る「黄衣」がタイのシンボルとして認識されてきたからです。
ところが、やがてタイが「微笑みの国」へと変わる日がやってきます。
初めて命名したのはイギリス人
初めてタイを「微笑みの国」と呼んだのはWilliam. A.R. Woodというイギリス人でした。1935年、彼は『Land of Smiles』という本を出版します。Woodはこの本の中で、 タイ人のトラブル解決法をふたつ挙げています。ひとつは「お金」。もうひとつは「微笑み(a smile or a chuckle)」です。面白いことに、女性同士の場合、「微笑み」戦略は通用しないとWoodは言っています。
それはともかく、実はWood以前、アジアを「微笑みの国」と呼んだ人はいたのですが、タイをそう呼んだのはWoodが初めてでした。
日本において、タイ=「微笑みの国」という図式が定着するのはもう少し後のことになります。1971年1月、岡田喜秋(きしゅう)という紀行作家が雑誌『旅』に「象と美人と微笑みの国・タイ」という文章を寄稿しました。内容は、1970年の「大阪万博」の際、象たちの活躍によってタイの人気が一気に高まったというものでした。その後、日系企業の進出や海外旅行ブーム、タイ観光庁による「アメージング・タイランド」政策などによって両国の交流が深まった結果、タイが「微笑みの国」となったのです。
あと十年後、いや百年後もタイは「微笑みの国」であり続けるのか。今後もじっくりとその動向を見守っていきたいと思います。
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いわい・しげき 総合研究大学院大学博士課程修了。チュラロンコン大学東洋言語学科日本語講座専任講師を経て、現在は 大阪大学日本語日本文化教育センター准教授。博士(学術)。専門は日本文化史、比較文化学、表象文化学。 |