
3月初旬にタイから日本に帰国した。もう少しアジアをまわらなくてはいけなかったのだが、新型コロナウイルスの感染が広まり、飛行機の減便が相次いだ。身動きがとれない予感があった。
帰国を前に東京の家から連絡が入った。
「日本はマスクとトイレットペーパーがほとんど手に入らない。バンコクでマスクが手に入ったら、何枚でもいいから買ってきて」
宿に近い量販店やスクムビット通りの薬局をのぞいてみた。マスクは売り切れたという。
「バンコクも……」
その日、中華街に用事があった。オールド・サイアムというショッピングモールを訪ね、外に出ると、斜め向かいにナイチンゲールというデパートがあった。
「……?」
これがデパートか……。客がまったくいない。そもそも冷房が効いていない。いまのバンコクのデパートで、冷房がないところなどあるだろうか。なんとなくいろいろ並んでいるが、通常のデパートのようなコーナーにわかれていない。
店員は中年女性ばかりだった。いや、おばあさん? 平均年齢は60歳? 若い頃から延々とこの店で働いていたような雰囲気が伝わってくる。
2階にあがってみた。中古の楽器や工具が並んでいた。アンティークといえば聞こえはいいが。3階への階段は閉鎖されていた。
デパート全体がアンティークだった。バンコクには、ときどき時流に乗り遅れたデパートをみかける。その典型ということか。
「あるかもしれない……」
中年女性の店員に、「マスクは?」と訊いてみた。あった。たっぷりと。100枚買ったが、倉庫にはまだあるという。バンコクでもマスクが品薄になっている空気は、ここには届いていない。
タイの流通は、日本のような精度に欠ける。コンビニの店頭に、新商品のポスターは貼ってあるのに、商品がないことはよくある。日本ではありえないことだ。
しかし日本の流通には脆弱さもある。パニックを起こしやすい。マスクが手に入りにくくなる、という情報が流れると、人々は敏感に反応する。探せばどこかにあるとは考えない。
タイも感染者が急増すれば、様相は一変するのだろうが、3月初旬、タイ人は、「探せばどこかにある」と思っているように思えた。それを甘さと見るか、ゆるさととらえるか。そこでタイとのつきあい方が変わる。
しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)。月2回、バンコクで続けている「書き方講座」の申し込みは lesson@arukubkk.com。








