ある出版社から、日本でつきあってきたアジア人の話をまとめませんか……といわれた。日本にいるタイ人やミャンマー人とのつきあいは長く続いている。
どうまとめればいいだろうか。40年を超える年月が蘇ってくる。とくに30年ほど前、不法就労のタイ人との日々は、命のやりとりにもかかわることが多かった。
僕はいま、3通の請求書をもっている。それぞれ50万円を超えている。処分してもいいのだが、なぜか捨てられない。
どれも病院からの治療費。タイ人の治療代だが、あて名は僕になっている。
タイ人の不法就労が多い時期だった。彼らの間に、僕の携帯電話番号が広まっていた。アパートで倒れたり、痛みに耐えかねたタイ人が救急車で病院に運ばれる。言葉が通じないから、僕の電話番号を彼らは伝える。そして僕は病院にかけつけることになってしまう。
見ず知らずのタイ人である。しかし彼らと病院の間に僕は立たされてしまう。タイ人は健康保険に入っていない。治療費が高くなることを知っている。入院して治療を受け、しばらくすると、病院から逃げてしまう。
「赤字処理しますが、一応、請求書をつくらないといけません。下川さん宛てにしてもらえませんか」
こうして請求書が僕のところに届く。
日本で生まれることがなかった赤ちゃんの父親にもなっている。それも3人。妊娠したタイ人女性を連れて産婦人科に出向く。超音波の画像を観ながら、医師が女性に語りかける。
「もうこんなに大きいんですよ」
つきあっていたタイ人男性が同伴することはなかった。逃げ腰だった。売春スナックで働くタイ人女性は黙って中絶の書類にサインをした。出産は無理だった。
「緊急の連絡先という意味もあるんで」
僕は父親の欄に名前を書いた。
痩せ衰えたタイ人女性が横たわるベッド脇で、医師から書類を手渡されたこともある。
「結核は法定伝染病なので治療費はかからないって彼女に伝えてください」
「結核?」
「結核です」
それ以上、訊いてはいけないと思った。
新型コロナウイルスで死亡したタイ人は、6月17日時点で60人にも達していない。この数は、日本で死亡した不法就労のタイ人よりはるかに少ないはずだ。本の内容を考えながら、考え込む。それが30年の年月なのだろうか。
しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)。