旅行作家・下川裕治が見るタイの「今」

旅行作家・下川裕治が見るタイの「今」【バンコク急行】タイの食堂に入って困る 第7回

 

タイ語には、ちょっと声をかける便利な言葉がない。とくに外国人には。

たとえば日本語。「すいません」がある。店に入ったときや、人に問いかけるとき、「すいません」が威力を発揮する。英語なら、エクスキューズミー。ところがタイ語には、それに相当する言葉がない。
「コートー」だという人もいる。しかしその意味は、謝罪のニュアンスが強くなる。気楽に使うには、若干の抵抗感がある。

「ピー」という目上の人に声をかける言葉もある。実際に年齢が自分より高くなくても使うことができる便利な言葉だ。
しかし日本人で、この「ピー」をうまく使いこなしているのは、かなりのタイ語熟達者。タイ語を学校で習い、それからタイ暮らしが1年、2年といったレベルでは、なかなか遣いこなせない。

ときに食堂に座ったときに困る。店員が席まで案内してくれるような店なら間がもつのだが、庶民が食べる一般的な食堂で戸惑うことがときどきある。店の人がきてくれないのだ。さて、どう声をかけようか……。

日本の店はその問題が少ない。扉を開けたとたん、「いらっしゃい」という声が響くことがよくある。
タイにしばらく滞在し、日本に帰ると、その声にびくッとすることすらある。なにもそこまで威勢のいい声をかけなくても……と思うのだ。
日本では沖縄の店の間が悪い。扉を開けても、「いらっしゃい」は響かない。なんとなくテーブルに座ると、メニューを手にした店員がやってきて、そこではじめて、「いらっしゃい」と口にする。
「どうせいうなら、早くいってくれないかなぁ」といつも思う。

それがタイまで南下すると、その言葉も消える。店を開いているのだから、客が入ればうれしいはずだ。しかし厨房の前でぼんやり立っていたりする。
こちらが声をかけないと動かないのだが、さてなんといえばいいか……。

タイ人を見ていると、目配せ派がかなりいる。店員と目が合い、目配せをすると、メニューを手にやってくる。常連かと思うとそうでもない。
「この手があったか」

タイ人は大声を出すことを好まない。それはわかる。しかしここまで手を抜いていいものか。食堂のテーブルでひとり悩むことになる。


しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)。月2回、バンコクで続けている「書き方講座」はツイッター「下川裕治 タイ」で検索を。

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