タイ東北部・イサーン地方の音楽「モーラム」をロックと融合させ、ヒット曲を連発。現在も勢いが衰えない、現在42歳のベテラン歌手ピー・サドゥ。イサーンのみならずタイ全土で知られる彼にダコがインタビュー! これまでの音楽遍歴と、さらに意外な日本との関わりを聞いた。
取材・文/ダコ編集部、写真/Final Pixel Studio
ピー・サドゥは1978年生まれの42歳。小学5年生のころにギターを始め、学生時代は音楽に熱中。25年前に発表したメジャーデビュー曲『サーオ・サム・ノーイ』はモーラムのメロディーに彼特有のロックの歌い方を乗せた、タイ人なら一度は耳にしたことがある人気曲だ。この曲のヒットで、一躍スターの仲間入りを果たした。
モーラムはイサーン語で語られる芸能であり、もともとイサーン人に向けて作られている音楽だ。しかし彼の楽曲は、自身が「多数のジャンルの音楽が混ざっているのが特徴」と語るように、ロックを中心に他ジャンルを巻き込んだもの。いったいどのように生み出されたのだろうか。
もともとロックが好きなんです。好きな歌手はジミ・ヘンドリックスやU2、ジョン・メイヤーなどです。でも自分が演奏する音楽のジャンルが何かということにはこだわっていません。音楽はミックスさせることが重要だと思っています。例えば、ジャズをやっている人は、ジャズとロックを融合させたりしますよね。ロックは人それぞれ自分のスタイルがあります。
音楽のスタイルには流行があります。私は幅広いジャンルの曲を聞くので、時代によってどんな音楽をミックスしようか、どんな曲を作ったら聴いた人が幸せになれるかということを考えています。リリースするアルバムには、その時代で流行っているスタイルを取り入れてきました。収録曲の30%くらいでしょうか。
曲を作る際に意識しているのは2つ。まず1つは「イサーン・スタイル」という点。『サーオ・サム・ノーイ』の入ったアルバムを出した当時、私はまだ学生だったので、イサーン語でロックを歌うという、誰もやっていなかったことを恐れずにできました。

『サーオ・サム・ノーイ』
1995年
2つめは、タイ人が好きな愉快な音楽を歌うということ。自分の音楽ジャンルをいうとしたら「幸せになれる音楽」ですね。例えば2007年に「ジー・ホイ」という曲を発表したのですが、この頃は景気があまりよくなくて、みんなに笑顔になってほしいと考えて作りました。この曲もそうなのですが、私の曲はタイ人が好きな「サムチャー」という楽しいリズムのものが多いです。
イサーン、そして楽しい音楽を提供することにこだわってきた彼だが、今年9月にこれまでとは全く違う挑戦をした。それはイサーン色を抑えてJ‐ROCKサウンドを取り入れた楽曲『エレンと呼ばれて』のリリース。タイトルの「エレン」とは日本の人気漫画『進撃の巨人』の主人公のこと。エレンと顔が似ているというところがきっかけで作られたというが、これまでの曲からは想像できない世界観で周囲を驚かせた。
だがこれが広い世代に受け、現在450万回再生(2020年11月中旬時点)。また彼は日本からは音楽的な影響を大きく受けたという。実は自身のバックバンドのギタリストは日本人で、日本との縁は深いのである。
今のタイは多くの問題や困難があります。エレンは希望を持って、努力し、戦い続けるキャラクターです。でもこの曲は、エレンについて歌っているのではなく、エレンというキャラクターを通じて、今を生きる人々の力になれる曲を目指しました。エレンとはキャラクターのことではなく、ヒーローになれる人全てのこと。もしこの曲を聞いたら、前向きに笑顔で頑張る自分のヒーローを思い浮かべてみてください。
音楽的に重要なのは、J‐ROCKをベースにして考えたという点。以前からの私の2万人のファンと、この漫画のファンもいるので、彼ら両方が楽しめるようにソフトで偏りのない曲にしました。曲中に「捧げよ」という言葉が入っています。この言葉を言うと、力がみなぎって、何度でも立ち上がれるような気になります。
日本の音楽からはさまざまな影響を受けています。楽器にしても私も昔から今までたくさんの日本のギターを買いました。あとは私のバンドのギタリストは日本人の「マサ」で、他にも多くの日本人の友人がいます。日本人の音楽家は演奏がとても上手ですね。タイ人は日本人から、日本人はタイ人から、いいことを学びあえる関係になれると思います。

『エレンと呼ばれて』
2020年
今後も様々な音楽への挑戦を続けていくという。
この次の曲も作り続けています。EDMを取り入れるのですが、仏教に関する内容を入れた曲です。そこにイサーン語やイサーンのメロディーを加えます。イサーンの色を出すのは、私が何者かということをはっきりさせたいから。もう少しでリリースできると思います。
まだまだアイデアはたくさんあります。ブルースとのミックスもやりたいです。今後も音楽はずっと続けていくでしょうね。10年後、20年後の自分を想像しても、まだ歌を歌っている未来しか想像できません。音楽のおかげで、多くのことを学び、多くの人に会えました。音楽に恩があると感じます。そしてこれからも自分の曲を通じて想いを伝えて、聞く人の心に響く曲を作りたいです。
1978年生まれ、コンケーン県出身。PGMレコードから1995年にデビューし、GMMグラミーでの活動を経て、2019年に独立。人気曲のひとつである『バン・ファイ・セーン』は、20年前から今でも毎年「バンファイ・パヤーナーク(龍神の火の玉祭り)」で欠かさず流されている。