今号の読者からのご相談
(前略)質問があります。スクンビット・ソイ37は何時消えてしまったのでしょうか。もしかしたらソイ39-1がそうなのかなぁと思ったのですが、なんでソイ39にしたのでしょうか。お手数おかけしますが、宜しくお願いします。以上失礼します。(はるる)
編注:もうひとつ質問がありましたが、割愛し、上記ソイ37のご質問の解明に全力を尽くします。
ブンからの回答
エム・クオーティエが併合
まず結論から申し上げますとスクムビット・ソイ37があった場所はエムクオーティエに飲み込まれてしまっています。
看板のないソイ
はるるさんのご質問にたいへん興味を持ち、ソイ37の歴史を調べようとしましたが、公的な機関に資料がないらしく、あちこちたらい回しにされました。ソイの入り口には番号が書かかれた看板がありますが、ソイ37にはその看板がありませんでした。いつからなくなったかは不明です。ソイ35の次がソイ39ですので、ソイ37はたしかにあったはずです。
トヨタ系修理工場があった
ダコの顧問弁護士がかつてソイ35と39の間の敷地内で仕事をしていたことがありました。そこにはトヨタボディサービス(TBS)というトヨタ系の修理工場があったそうです。また編集部の配送係は、かつて日本の日刊紙を配達していたとき、TBSに配送したことがあり、ここにソイがあったことが判明しました。さてきっかけが見つかりました。トヨタに当たってみます。
トヨタ系修理工場に挟まれ
この場所にあったTBSは2010年に賃貸契約が終了し、シーナカリンへ移転したことがわかりました。そこでネット検索で「トヨタ」「スクムビット・ソイ37」とタイ語で入れて追ってゆき、ソイ37のTBSにいた従業員とコンタクトできました。
彼によると、TBSはソイ37をはさんだ両側の建物であり、看板はなかったものの、昔から住んでいる人はここを「ソイ37」と呼んでいたそうです。
はるるさん、そして看板はなくとも人々にソイ37と呼ばれていたソイは人知れず(?)エム・クオー ティエの中に消えました。
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