タイ人たちが日本で出合った心揺すぶられた思い出たち
今回実施したアンケートでは、日本旅行での心温まるエピソードも披露してもらっていた。その内のひとり、ダコ編集部スタッフの琴線に触れたスラットさんの体験談全文を掲載する。ほかにも、日本で出会った旅行者との甘酸っぱい予感、感動した日本人の気質、ちょっとヒヤリとする話などなど、多くのエピソードが寄せられた。次ページでは、日本で心を震わせてきた3人のタイ人の思い出話を紹介する。
「やさし過ぎるおじさんとの出会い、一生の宝物」
宿のオーナーは、タイ語が話せる日本人
私たちが初めて日本に行ったのは、2014年の10月です。東京に10泊11日で行きました。親子3人での旅で、気に入ったホテルが見つからなかったこともあり、Airbnbで見つけたアパートに決めました。
初日、私たちはアパートに着くと、宿の方に挨拶をしに行きました。その人は年配のおじさんだったのですが、私たちがタイ人だと知ると、そのおじさんは勢いよく話し出しました。しかも、タイ語で! とても流暢にタイ語を話していたので、聞くと、おじさんは若い時にタイに働きに来ていたということでした。
荷物を整理し終わって、遊びに出かけようとしたところ、おじさんが小さな地図を持って私たちを待っててくれました。手描きの地図を見せながら、コンビニはどこにあって、どの店が安くて、どの店が高いかを丁寧に説明してくれました。
地図にはおじさんの名前と電話番号が書かれており、道に迷ったり、困ったことがあればいつでも電話しなさいと言ってくれました。私たち、親子3人は言葉に詰まってしまいました。このおじさんはなんてやさしいんだ! と。
おじさんのやさしさに言葉を失う
その帰り、お礼の気持ちを込めておじさんにタイヤキを買って渡しました。おじさんは受け取ると「もう遅いから早く部屋に戻りなさい」と言っていたのですが、15分後、部屋におじさんがやってきて、にっこり笑いながら、果物がいっぱい入ったかごをくれました。みかん、柿、りんご、ぶどうが盛りだくさんです。とてもびっくりしました。私たちがあげたタイヤキよりも全然高価なんですもん!
3日目に私たちは、日光に観光に行きました。その日のうちに全部を見て回ることができなかったので、日光で泊まることに。アパートに戻ると、おじさんが私たちを待っていました。私たちの顔を見ると「どこに行って来たの? 昨日は一度も顔を見なかったけど、問題が起きたかと心配してた」と言ったのでした。私たちは、またまた言葉を失ってしまいました。会って間もない私たちに、ここまで心配してくれるなんて! と。
私たちはおじさんの宿で6泊しました。最後の2日間、おじさんはアパートにいないようでした。私たちは、次の宿に移る前にマーマー・トムヤム味と、私たちのメールアドレスを書いた紙をドアのところにぶら下げてきました。
その後、2日ほどして、おじさんからメールが来ました。「田舎に帰っていて、お別れを言えなかったのが残念だ」と。私たちがタイに戻ってからもおじさんとの交流は続きました。LINEでずっとやりとりしていたのです。
話は続きます。
2度目は、サプライズ訪日
今年の7月、今度は夫婦で東京に遊びに行きました。おじさんのために象のイラストのあるTシャツを買っていきました。サプライズのつもりで、事前におじさんに行くことは伝えていませんでした。
おじさんのアパートに着くと、ドアが閉まっています。鍵が閉まっていたのでおじさんはいないのか、と残念に思いましたが、試しにドアをノックすると、おじさんが出てきました。
私たちを見ると、今度はおじさんが言葉を失っていました(笑)。「夢じゃないよね」とおじさんはびっくりしています。夢ではありませんよー。「この前LINEしたときに、なんで言わなかったの?」と。
その日の夜、おじさんは私たちをお寿司屋さんに連れて行ってくれました。日本人しかいないお店で、メニューには英語もありません。おじさんがいなければ、到底行けないお店でした。
次の日、おじさんは私たちを河口湖まで連れて行ってくれました。お寿司屋さんで前回の訪日時に、曇っていて富士山を見れなかったと話していたからです。
最初は電車に乗って行くと思っていたのですが、おじさんはベンツに乗って迎えに来てくれました。
電車の中で、止まらなかった涙
しかしながら、この日も河口湖は曇りで富士山は見られませんでした。でも、おじさんは元気よく、「大丈夫! 富士山に登りに行こう!」と言ってくれました。そして富士山五合目まで運転して行ってくれたのです。寒いかもしれないから、と家から毛布まで持って! 私はうれしくて涙が出そうになってしまいました。
その後もおじさんは、いろんなところに案内してくれたのですが、その先々で私たちが料金を支払おうとしても、お金を受け取ろうとはしませんでした。駅で別れるとき、私たちは何度も何度もおじぎをして別れました。それ以外にどうやって感謝の気持ちを伝えたらよいのか分からなかったのです。
電車に乗りながら、目から涙が止まりませんでした。大げさかもしれませんが、ほんとのことなんです。
そして、今に至るまで、私たちとおじさんの交流は続いています。季節の折々にお便りを出し、写真を送りあっています。初めての日本でのとてもすばらしい出会い。私たちの一生の宝物です。
(スラットさん)
僕の人生で一番短い2時間の旅
僕の初めてのひとり旅は九州を北から南へと縦断する2週間の旅。11都市、約1600kmの移動だ。毎日違う都市に移り、有名駅弁を食べ、町を見て回った。道中、世界各国から来た多くの人たちとも出会えた。
湯布院からハウステンボスへと向かう際、「特急ゆふいんの森号」を利用した。この列車は、前面のガラスがとても大きく、パノラマの景色が楽しめる。
列車では、若い女性と隣り同士になった。話しかけてみると彼女は香港からきて、同じく初めてのひとり旅とのこと。驚いたことに、ほぼ同じルートを移動していたことが分かった。同じ宿に泊まっていたこともあったんだ。
彼女はこの日が最終日で、博多に向かい香港に帰る。僕は鳥栖で降りてハウステンボスに向かう。この列車での時間は、僕の人生で最も短く感じられた2時間だった。降りる際、彼女とフェイスブックを交換した。「タイに来たら、連絡して。案内する」。彼女も「香港に来たら教えて。おいしい店に連れて行ってあげる」と言ってくれた。そうして、ふたりは別々の場所へ向かった。
追記:その後も僕たちは連絡を取り合い、この9月、僕は香港に行った。あの時の約束通り、彼女は僕をおいしいお店に連れて行ってくれたんだ。 (ポーラメートさん)
彼女の笑顔が忘れられない

※写真はイメージです
日本での一番の思い出。とてもうれしかった。とても感動した。今、思い出しても心が温まる、そんな話。日本人の思いやり、誠実さを身に沁みて実感した出来事だ。今もまだ、彼女の笑顔が僕の頭から離れない。100円ショップのレジのおばちゃん。
日本旅行の初日、僕は、なんと10万円以上入った財布を浅草エキミセ内の100円ショップに忘れてきてしまった。気付いた頃にはすでに店を出てから数時間が経過していて、夜の8時になっていた。本当に心臓が止まるかと思った。
急いで戻ったけれど、幸運にも店はまだ閉まっていなかった。そして、さらに幸運なことに同じおばちゃんがレジにいた。彼女はちゃんと僕のことを覚えていて、にっこり笑って財布を返してくれたんだ。自分の懐に入れることもできたのに……。
僕は、何度も何度も「ありがとう」と言った。でも、それだけでは治まらないほど感謝の気持ちでいっぱいだった。日本人の誠実さにとても感動した。僕は自分では、注意深い方だと思っていたのだけれど、以降はもっと気をつけるよう、気を引き締めなおした。 (ジアムジットさん)
妹とふたり、心震えた東京の夜
東京での忘れられない思い出。それは実際に起きたちょっと怖いお話です。妹とふたり旅、上野のちょっと奥まった場所にあるホテルに泊まりました。
初日の夜、疲れていたので食事を終えるとすぐ床に就きました。ぐっすり眠っていたのですが、夜中に突然目が覚めました。「男の子」の笑い声と、ドアを開けようとする音がずっとしていたからです。深夜1時。その音は、とても長い時間続きました。さらに音が大きくなったので、タイ語で「うるさい!」と言いましたがやみません。思いついて、今度は日本語で「うるさい!」と言うと、音はやみ、静けさが戻ってきました。それは結局、ホテルに宿泊していた7日間、ずっとしていました。
妹は実際にその「男の子」を見たと言います。音を聞いた妹がドアの覗き窓から見ると、そこにはニヤニヤと笑う「男の子」がいました。妹はドアを開けましたが、外にはだれもいません。隠れられそうなところを見るも、だれもいないのです。その夜、妹は長い間ずっとお経を唱えていました。
これが「男の子」の声だったのでまだよかったです。もし、「大人」の声だったなら即刻別のホテルに移っていたことは、言うまでもありません。
(ニチャガーンさん)








