1974年生まれ、東京都出身。高校卒業〜26歳までプロ選手として活動。1995年、全日本選手権優勝。2004年にシンガポール、翌年にバンコクで自身が運営するテニススクール「APF Academies」を開校し、ジュニア育成に取り組む。
全日本選手権の覇者であり、プロ選手として海外を転戦してきた金子英樹さんが第2のフィールドとして立ち上げたのが、テニススクール「APF Academies」。生徒に教え、時に教わりながら指導者としての力を磨いて16年。新型コロナウイルス第2波に直面する今、何を思うのか。
「APF Academies(以下APF)」は現役時代に出会った方々とのご縁もあり、2004年にシンガポールで開校し、その翌年にバンコク校をスタートしました。
私自身は高校卒業後にプロへ転向したのですが、腰や膝など慢性的な故障により26歳で現役生活にピリオドを打ちました。当時、引退後の明確なビジョンがあったわけではなかったのですが、私にできることと言えばテニスしかなかった。腰を据えて海外で生活したいと思っていたこともあり、2カ国での開校に至りました。
APFには現在、私を含めた4名のコーチと、4歳から60代まで200名前後の方々が在籍しています。運動能力や技術の向上、ダイエット、プロ挑戦などさまざまな目的をもった生徒がいますが、指導として共通しているのは体系立てて伝えること。形だけ、感覚だけで教えるのではなく、一つひとつの動きを言語化・視覚化することを大切にしています。
テニスは、試合が始まれば頼れるのは自分だけです。だからこそ、論理立てて考えられるようになることで試合中の失敗もすぐに改善できるようになる。子どもたちには特に、自分で考え、苦しい場面を乗り切る力をAPFで養ってほしいと思います。
ただ…正直なところ現役時代の私は感覚派だったため、開校当初は伝え方でとても苦労しました(笑)。生徒の皆さんと向き合い、試行錯誤しながら少しずつ吸収してきた感じでしょうか。世界では絶えずプレイスタイルや考え方が変化していくので、トップ選手の試合を見るなど勉強は尽きません。サッカーの戦術から論理的な考え方を学ぶこともあります。
コロナ禍でも前進する
常に動きのあるスクールに
どの業界も同じかと思いますが、コロナ禍で厳しい状況が続いています。けれど…前向きな視点でみたら、これを機に新たな風を吹き込むことができたという実感もあります。実はここ数年、スクールの体制を振り返った時に「変化」よりも「維持」の割合が増していることが気になっていたんです。今こそそれを変えるチャンスだと、活用し切れていなかった動画チャンネル「YouTubeテニス倶楽部」の内容を見直し、投稿頻度を高めたり、定額・会員制だったレッスン料を不定期で利用できるチケット制を導入したりと一つひとつ実践しています。その時々で求められているものを見極め、常に動きのあるスクールでありたいですね。
私自身のコートに立つ回数が増えたことも大きな変化ですね。基本的に私は、スクール全体のマネジメントと指導プログラム作成、プロを目指す選手の育成がメインのため一般のレッスンは他のコーチ陣が担っていたのですが、コロナ禍で時間に余裕が生まれ、生徒の皆さんと直に関われる時間ができたんです。競技者とは異なる視点がとても新鮮で、レッスン内容を見直す貴重な時間になっていますし、より一層テニスを〝楽しい〟と思える環境をつくっていきたいと強く感じました。
状況が落ち着いたら、生徒同士が交流できる新たなイベントを実施しようと計画中です。また、APFを通して〝タイでしかできない体験〟もどんどん共有していきたいと思います。