バンコク郊外には昭和の匂いがぷんぷんする場所が実はかなりあって、年長者には懐かしさを、若者にはレトロなスタイルを、感じさせてくれる。次はあなたがひたれますように。運河沿いの黄昏お宅訪問、クローン・バーン・ルアン
旅して書く係 昭和時代をじゅうぶんに知る編集K
感想を言う係 研修生、平成生まれの大学4年生ヤストー
おすすめ係 ダコのシニアリサーチャー、テンモー
だれでもできる 小さなチャレンジ、タクシー10分
曇天と雨の午後、日本から来たヤストーと歩いた。彼は初の東南アジアで初バンコク。なにもかもに目を輝かせる。私、編集Kは在住5年が過ぎた。
昼の1時をまわった頃。BTSシーロム線の終始駅、ウォンウィエン・ヤイからタクシーに乗りトンブリー地区へ。「ジャランサニットウォン・ソイ3、スットソイ カ。ヤークパイ・クローン・バーン・ルアン カ」と運転手に告げる。ジャランサニックウォンのソイ3の奥です。バーン・ルアン運河に行きたいのです……と伝わっているはずだ。5年住んでいるわりには下手なタイ語だが、お願い行ってくれ、と念力を送っていたら10分後、長いソイ3の突き当たりで降ろされた。ふうっ。ヤストー、次回は自力で初乗りしてみよう。メーター倒してもらうんだぞ。
昭和を知らない世代も陶酔
「昭和ってこんな感じなんでしょうね……」。ヤストーは、運河沿いに続く家の軒下を歩きながら、うっとりしていた。ソイ3から橋を渡ったバーン・ルアン運河沿いの集落は、現在のチャクリー王朝の前、トンブリー王朝時代に形成されたと言われる。
今から200年以上前だ。水面に建つこげ茶色の家が当時の面影を今に伝え、その家並みと水辺の生活を眺め歩くのが、タイ人のレジャースタイル。実はバンコクに住むタイ人の間でも徐々に知られ始めたばかり。
各家の板張り玄関先は隣と連結し、自然と通りを造っている。各家の川にせり出た木の椅子は、行き交う人のベンチでもある。レジャーで訪れた私たちとって、その家々を覗く行為は、まるでアトラクション感覚。終日、家の中を見られているのに、のどかに大らかに笑う人々。
昭和を知らないヤストーには懐かしさではなく未知な世界だった。昭和を知る私でも、都会っ子だったので懐かしさより、歴女の気分になった。
歴女よろこぶ仏塔ギャラリー
歴史好きな女性のことを流行語で歴女と呼ぶ昨今、「自分の女友達も好きにちがいない」とヤストーがスケッチブックに絵を描き始めたのは、橋から左に折れて約50mのバーン・シラピン、アーティストの家でのこと。絵心のある人は書かずにはいられないだろう。
200年以上経つL字の木造2階建ての内側、つまりLの内角に名もなき仏塔があるのだから。絵心なくても驚く。トンブリー時代に何があったのか、そこのスタッフは知らなかった。想像が掻き立てられる。風情たっぷりの写真がプリントされた絵葉書とクラフト紙の分厚いノートを買った。コーヒーもジェラートもある。カフェ女だって満足だ。
紹介したくない気持ち
でも、カフェなら今度は橋に向かって右に行ってすぐの「ディー・ルート」で。昭和をさらに遡り大正ロマンを感じるアンティークなコカ・コーラの看板やホンダのバイクが並んでいて、心奪われる。ヤストーはここで初めてガチャガチャをやった。1回1B。中からプラスチックの赤い指輪。その先を歩いて、この地区の菩提寺的存在「ワット・クーハー・サワン・ウォーラウィハーン」でお参りをした。
ヤストーはお寺も初めて。三礼の仕方を習い感動している。なんだかこっちもうれしいや。
時刻は午後6時。川沿いから1本奥の道をぶらぶら歩いて帰ることにした。古い市場や家並みを見ることは、私にとっては珍しいことではなくなったけれど、この手のタイムスリップに飽きたことは未だなく、今日は特に、何かの扉をそっと閉めるように、来た橋を渡った。
行き方
BTSでシーロム線のウォンウィエン・ヤイ駅へ。2番出口より降りる
タクシーでトンブリー方面へ。
行き先はジャランサニットウォング・ソイ3(Charansanitwong Soi3)。
ソイの突き当たりのセブンイレブンまで行く
帰りはセブンイレブン前に停まっている赤い乗合トラック、
ソンテウ(5B)かモーターバイク(7B)でソイの入口まで行く
ジャランサニットウォングの大通りに出たら
歩道橋を渡ってタクシーを拾いBTSの駅へ