東京の浅草にミャンマー人だけで経営する寿司屋がある。『寿司令和』という。ミャンマー人が寿司を握り、接客もミャンマー人。それが話題になり、テレビや新聞でもよく紹介されている。
この店は昨年5月に開店した。その準備段階からかかわっている。ミャンマー人といっても、少数民族のラカイン人である。彼らはミャンマー西部からバングラデシュ南部にかけて暮らしている。僕はバングラデシュ南部で、ラカイン人向けの小学校の運営にかかわっている。その縁で手伝うことになった。
中心メンバーのラ・シュイとニイニイサンは、日本の寿司屋で20年以上働いてきた。
その話を聞きながら、「タイの若者にはできないことだろうな」といつも思う。
彼らは観光ビザで日本に入国し、難民申請をした。ミャンマーの軍事政権時代である。日本は難民の受け入れが極端に少ない。しかし本国に返すことも難しい。そこで彼らは仮放免という不安定な立場で、日本滞在が許された。そんな彼らを雇ってくれたのが寿司屋だったのだ。
生魚を食べたことがない彼らが寿司職人修行……。日本の寿司屋にも事情があった。寿司を握りたいという若い人がいないのだ。理由は修業の厳しさだった。
寿司屋の主人は高齢化が進んでいる。昔気質の彼らは、厳しく指導する。日本の若者はついていけない。
彼らは毎夜、タオルで寿司を握る練習を続けた。ときに音をあげそうになったが、彼らには帰る国がなかった。拾ってくれた寿司屋で歯を食いしばるしかなかった。
日本に観光目的でやってくるタイ人へのビザが免除されたとき、働くタイ人が増えるのでは……という危惧があった。蓋を開けると、3000人ほどが帰国しなかったというが、その後、話題にもならなくなった。「タイの給料と労働環境、それと日本を天秤にかけると見合わないんでしょうね」という人は多い。日本はタイより給料は高いが、仕事は厳しい。言葉の壁もある。
ましてや寿司屋など……。
浅草に開店した『寿司令和』は順調に滑りだした。しかしそこでコロナ禍に見舞われる。しかしなんとか乗り越えられそうだ。日本人客が支えてくれた。
理由はアジアだった。店には日本人の寿司屋のような敷居の高さがない。気楽なのだ。彼らは習った通り、「いらっしゃい」と威勢よく日本語を発するが、その先にアジア人らしい笑顔が続く。
それは彼らが意図したことではなかった。しかし日本人客はアジアの空気を敏感に感じとっていた。
しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)。
下川裕治のアジアチャンネル