先日、ある和食店の主人と話をした。彼は東京都内で4店舗をもっている。コロナ禍のなかで、経営は厳しい。8月に入り、売上は昨年の半分ほどだという。
いつ頃、このコロナ不景気が終わると読んでいるのかと訊くと、あと2年という言葉が返ってきた。
「融資を受け、従業員を減らして、なんとか2年もたせる。この前、同業者の集まりがあったんですが、2年と読んでいる経営者が多かった。来年のオリンピック? もちろんないと思っています」
ほかの業界からも、正常に戻るのは2022年という話を耳にする。2年間、耐えることが、経済界に共通した認識なのだろうか。
2年後──。おそらく新型コロナウイルスは消えていない。SARSウイルスのように、突然、地球上から消えてしまうことはないだろうといわれる。
ワクチンは開発されている。しかしいまのインフルエンザワクチンと同様、特効薬といった認識はないはずだ。ウイルスは3カ月ほどの周期で突然変異を繰り返していく。新しいウイルスへの効き目は弱い。
新型コロナウイルスの弱毒化も進んでいる。ウイルスは弱毒化という宿命を背負っている。ウイルスは自分では増えることができない。人間の体のなかに入ることでようやく数を増やすことができる。そして短い期間で突然変異を起こす。なかには強い毒性をもったウイルスも生まれるが、感染した人間がすぐに死んでしまうため、感染を広める時間がない。生きのびていくのは弱いウイルス。感染力は強いが、人の命を奪うほどではない。いまのインフルエンザである。風邪のレベルになって生きのびる。
それがウイズコロナの時代である。つまり新型コロナウイルスへの対応には、勝者もいなければ敗者もいない。限りなくグレーの、なんだか気もちの悪い状態に落ち着き、人々の意識のなかでは存在感が薄れていく。
2年後とは、その時期を示しているという気がする。
日本に暮らすタイ人とそんな話をした。彼はタイ料理レストランのオーナーだ。
「2年後ですか。私はそこまで考えられないですよ。そんな先を考えて生きてきた経験はありません」
日本人は計画性を高く評価する。しかしその能力が足枷にもなる。瞬間的な対応を遅らせる。タイ人は2年後を見据えようとはしないが、2カ月後への対応は迅速だ。辿り着くウイズコロナの時代に大差はないのかもしれないが。新型コロナウイルスは、国民性を浮き彫りにさせながら、今日も感染者を増やしている。
しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)。