月に最低でも1回は海外に出る。訪ねる国は1カ国ということは少ない。いまバングラデシュのコックスバザールという街にいるが、ここにくるまで香港とタイに寄った。いつも急ぎ旅である。
タイ以外、訪ねる国の言葉はまったくといっていいほど理解できない。挨拶やお礼ぐらいは現地の言葉でと思うが、その気力もない。ハローやサンキュウですませてしまっている。
誠意のない旅行者だとは思うが、挨拶やお礼の言葉を口にしたところで、さして意味がないという気がする。
日本はいま、外国人観光客が多い。なかには、「こんにちは」「ありがとう」など笑顔で挨拶を口にする人もいるが、それを耳にしたところで、その人がいい人だとは感じない。なにかをしてあげようとも思わない。
その人が気を遣っているだけだと考えてしまう。僕がひねくれているからなんかもしれないが、その人と気が合う、合わないといった感触は交わす言葉では生まれないと思っている。勘がすべてだと思う。
理由? タイ語学校でタイ語を習ったからだ。最初は東京の学校だった。そこでタイ語を習い、バンコクに向かった。「サワディー・カップ」は通じたが、それ以外のタイ語はまったく理解してもらえず、バンコクの路上で呆然と星のない夜空を仰いだ。
しかし友だちはできた。いまでもつきあっている。人と人の関係はそういうものだと思う。
タイ人の挨拶はどんどん短くなっていく。女性は、「サワディー・カー」を略して「ディー・ジャ」などという。英語の「グッド・モーニング」のグッドをとってしまい、「モーニン」という人も多い。最後の「グ」も聞こえない。
バンコクで働きはじめた日本人が、朝、どんな挨拶をすれば、タイ人は好感を抱くのだろうか。タイ人に訊くと、「おはよう」派と「サワディー・カップ」派に分かれた。
「おはよう、ですね。日本とかかわる会社で働くタイ人はほとんど知っている言葉。タイにおもねらず、きちんと日本語を口にされると、しっかりした人だと思います。黙っているよりずっといい」
「サワディー・カップですね。それも習いたてというか、日本人っぽい発音がいい。この人は一生懸命なんだな、って雰囲気が伝わってきます」
さて、どちらを使う?
しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)。月2回、バンコクで続けている「書き方講座」はツイッター「下川裕治 タイ」で検索を。