僕は東京とバンコクでタイ語を習った。学校で身に着けたタイ語で、実際に使ったことがない単語はいくつもある。
習った学校がよくなかったといっているわけではない。言葉とはそもそもそういうものだと思う。
たとえば「さよなら」。タイ語学校では「ラー・ゴーン」と習ったが、たぶん1回も遣っていない気がする。タイ人たちもほとんど遣わない。女性だったら、「バイバイ・カー」がいちばん多いだろうか。
それはどの国でもいえることで、中国でもバングラデシュでも、日常会話では、「バイバイ」が多い気がする。世界の共通語である。
最近、インターネットを使った翻訳が進化してきている。文字を表示するだけでなく、しゃべってもくれる。
「これがあれば大丈夫」と思っている人もいるかもしれないが、言葉はそう簡単なものではない。
難しいのは翻訳ではなく、入力する日本語である。簡単な単語なら翻訳はスムーズだが、そのレベルの言葉は、英語の日常会話の域を出ない。海外旅行に何回か出れば身についてくる範疇だ。そしてそのレベルの英語は、多くの国の人が理解してくれる。
バンコクもそういう街だと思う。以前に比べれば、英語を理解し、話してくれるタイ人はかなり多くなった。
よく入る安食堂にふらっと欧米人が入ってきたことがあった。とても英語を口にするとは思えなかった店のおばさんがなんと英語を口にし、注文を受けてしまった。もうそういう時代なのだ。
もちろん込み入った会話ではない。しかし通じてしまう。それは、インターネットを介した翻訳機能に、「さよなら」という日本語を打ち込んでいるレベルなのだ。その程度のタイ語は必要がない。
たとえば「忙しい」と、グーグルの翻訳アプリに打ち込んでみる。「マイ・ワーン」が表示される。しかしタイでは、「ユン」もよく遣われる。やはり「忙しい」という意味になるが、「マイ・ワーン」と「ユン」の間には、微妙な違いがあるように受けとれる。「ユン」には、「やることがいっぱいあって、収拾がつかない」といった意味も含まれる気がする。タイ人は日本人に比べると、すぐ「ユン」になってしまう。そこにタイ人の精神構造を解く入り口があるような気もする。
言葉とはそういうものだ。必要なものは、タイ人を見る感性と日本語能力。翻訳アプリではない。
しもかわ・ゆうじ
アジアや沖縄を中心に著書多数。新刊は『12万円で世界を歩くリターンズ』(朝日文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)。月2回、バンコクで続けている「書き方講座」の申し込みは lesson@arukubkk.com。