旅行作家・下川裕治が見るタイの「今」

旅行作家・下川裕治が見るタイの「今」【バンコク急行】第2回 自由かはたまた身勝手か

自由かはたまた身勝手か

先日、タイの知人がカフェを開いた。お祝いを兼ねて訪ねてみた。場所はノンタブリー。最近、MRTのパープルラインが開通して便利になった。
小さな店だった。カウンターとテーブルが3つ。彼ひとりで切り盛りしていた。

メニューを見てみた。ひとつ、ひとつにタイ語と英語の説明がついている。カプチーノの欄にはタイ語も英語も、「MIRUKU」という単語が書かれている。
MIRUKU──。なんだろうか。

訊くと牛乳だった。ミルクか……。なぜ、タイ語のノムとか、英語のMilkと書かないのだろう。

「日本に行って、カプチーノを飲んだんです。本当においしかった。僕なりに研究しました。日本の牛乳がコーヒーに合うんです。本当はミルクって書きたいけど、だれも読めないから。タイのなかで探しました。なんとか近い味の牛乳がイサーンでみつかって。そこからとり寄せています」

初耳だった。日本の牛乳はそんなにおいしいのか。頼んでみた。テーブルに置かれたカプチーノを飲もうとすると、
「ま、待って。22秒待ってください。そうしないとおいしくないんです。ハイ」

と砂時計を渡された。特注砂時計だという。飲んでみた。なにがおいしいのか、よくわからなかった。そうはいわなかったが。

彼は知人の息子である。30歳代。以前はデザインの仕事をしていた。

タイ語に「ティット(ติสท์)※」という表現がある。こだわりすぎるといった意味だろうか。集団を好まず、自分の流儀を曲げず、周囲の空気も読もうともしない。

彼はティット?

はじめてタイの土を踏んだとき、僕はタイ人に憧れてしまった。あんなに自由に生きることができたらどんなに楽だろう。知り合いのタイ人は急に仕事に行かなくなった。理由を訊くと、「飽きた」というひとことが返ってきた。飽きて仕事を休めたら、こんなに楽なことはない。

タイに移り住み、タイ語を学んだ。タイ人のように生きたかった。

それから10年──。タイ人の自由は自分勝手だとわかった。身勝手な個人主義者。そんなことを知るために10年も費やしてしまった。

自由と身勝手は紙一重だ。そこに日本人は翻弄され、苦労する。ティットを使うタイ人は、そのあたりを客観視してきたのだろうか。いや、さらなる身勝手の極みに向かっているのか。


しもかわ・ゆうじ
旅行作家。1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。最新刊は「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(KADAKAWA)。月2回、バンコクで文章の書き方講座を続けている。現在、クラウドファンディングサイト「A‐port」にて、バングラディシュの小学校校舎修繕のプロジェクトも立ち上げている。

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