カップ焼きそばの作り方を文豪たちが書いたらどうなるか、で大ヒットした
「もしそば」シリーズの著者による、もし村上春樹がタイに来たら。
第4もし「アユタヤーの象に乗ったら」編
僕は、アユタヤーで、象になんて乗るべきではなかったのだ。今でははっきりとそう言い切ることができる。ましてや、メールアドレスを交換するなんてするべきではなかったのだ。
象が僕の家を訪ねてきたのは、タイから帰ってきて10日後、ちょうどお盆が明けて夏休みも終わりに近づいた、ある晴れた午後のことだった。
FMラジオがCMに突入したとき、ふいにチャイムがなった。玄関まで行き、どなたですかと訊ねると、
「先日はお世話になりました。アユタヤーの象です」と、かしこまった挨拶をした。
アユタヤーの象は、いつも最初は謙遜する。象が僕の住所を知っているのは、はっきりと僕のせいだと断言することができる。象と何度かメールでやり取りした。そのときに僕のメールには、僕の住所が記載されていたからだ。
僕は、象を家に上げた。どっしりとした足並みで、窮屈そうだったが、ゆっくりと僕の家のリビングのテーブルに座った。
象は言った。
「飛行機の席が8席分も必要でして。まあ、難儀でした」
アユタヤーの象ジョークだ。アユタヤーの象はよくジョークを言って、相手を煙に巻く。僕は、率直に切り出した。
「で、わざわざ何の御用で?」
象は、自らもタバコを出して、くゆらせた。
「じつは、私どもは、アユタヤーの象を世界に広める活動しております。しかし、Aという概念があります。そのAがBという概念に取って代わり、やがてCという概念に包括される。そのようなことが現実にはしばしば起こります。私どもは、このような事態を避けるために、なるべく正しいことを伝えねばならないと考え、広報誌というものを作っておるのです。それを渡しに参りました。それと引き換えに象徴的な援助をいただければと思い……」
「要するに寄付ですね」
「概念的助成です」
僕はポケットのなかに入っていたくしゃくしゃになった千円札を渡して、象を追い出した。
手元には、『月刊アユタヤーの象』と「アユタヤー象バッヂ」が残されていた。
僕は、そのふたつを窓から放り投げた。
神田桂一
大阪生まれ。ライター・編集者。『ケトル』『POPEYE』『BRUTUS』などで執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・菊池良氏と共著)。ガチャピン好き。お仕事の依頼はpokkee@gmail.comまで。