もし村上春樹がタイで○○したら

もし「水掛け祭りに参加したら」編 第3回

カップ焼きそばの作り方を文豪たちが書いたらどうなるか、で大ヒットした
「もしそば」シリーズの著者による、もし村上春樹がタイに来たら。

もし「水掛け祭りに参加したら」編

ある4月の晴れた昼下がりだった。僕は、庭の木にぶらさがったハンモックで本を読んでいた。適度なモンスーンが本をパラパラとめくった。それは、僕の意思とは無関係に、読むべきページを指し示した。それは悪くない制約だった。文脈は途切れ、舞台は目まぐるしく変わった。生き生きと活躍していた人物が、別のページではすでに死んでいた。

外では、ソンクラーンという水掛け祭りが行われていて、街中が大騒ぎしていた。僕は昔からその手の行事がわりに苦手だった。あるいは行事のほうが僕のことを苦手としていたといったほうがしっくり来るかもしれない。だからおとなしく家にいることにしたのだ。しかし、事態はそう簡単に進まなかった。その夜、妻が家を出ていったのだ。

荷物は何一つ持っていっていない。最初は、単に水掛けを楽しみに、外出しただけかもしれないと思った。彼女はお祭り好きなのだ。でもあるとき僕にはわかった。妻はもう二度とこの家には戻ってこない。それは、まるで語学学習で、ある瞬間に、コツをつかむ感覚と似ていた。

とにかく僕は、外に出た。ソンクラーンが盛り上がっている場所に急いだ。最初に着いたのはシーロム通りだった。そこには、パーティーピープルが、まるで60年代安保の国会議事堂前のデモのように集結していた。そして、僕は、360度の方向から水を浴びせかけられた。あるものは水鉄砲で、あるものはバケツで、僕を標的にしていた。妻なんてどこにもいなかった。

途方に暮れて、僕は家に帰ろうとした。そのとき、街のいたるところに、大きなポリバケツがあることに気づいた。それは、水を補給するためのもので、絶えずそこに水を補給する人がいた。彼らは水を掛けるわけでもなく、ただ黙々と水を補給していた。僕は、思わずそのひとりに話しかけた。

「あなたは水を掛けたりしないんですか?」
「雪かき仕事です。誰かがやらなくちゃいけないんです」

僕は思わず、「雪かき仕事」と口に出してつぶやいていた。


神田桂一
大阪生まれ。ライター・編集者。『ケトル』『POPEYE』『BRUTUS』などで執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・菊池良氏と共著)。ガチャピン好き。お仕事の依頼はpokkee@gmail.comまで。

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