もし村上春樹がタイで○○したら

もし「屋台で注文したら」編 第1回

カップ焼きそばの作り方を文豪たちが書いたらどうなるか、で大ヒットした
『もしそば』シリーズの著者による、もし村上春樹がタイに来たら、連載スタート!

もし「屋台で注文したら」編

僕は遅い昼食をとろうと街へ出ることにした。時計の針はすでに午後2時を指していた。すでにもう仕事をする気分ではなかったし、外に出て何かお腹にためるのも悪くない。そう思った。バンコクには、かつてほどではないにせよ、まだ屋台が残っていた。そこは、規則正しく並べられたおかずのなかから、好きなものを好きなだけ選び、ライスの上に掛けてもらうというタイプのものだった。それは、僕をひどく混乱させた。

「今日のおかずは僕をひどく混乱させる」

「何にしますか?」

タイ人女性が僕に笑顔を向けていた。格好からして、その女性はまだ20代と思われた。頬のはりから、どこか幼さが見え隠れする。

「ナスの辛子炒めが気になるけど、僕がほしいのはそれじゃない気がする」

「じゃあ、どれ?」

高架にあるBTSが駅に停車し、また走り出していった。それは、東京の山手線のように、またここに戻ってくるといった類のものではなかった。それはなんとなく、冬眠明けの熊の初恋を想起させる。

「あるいは、今日はライスはなしで、ソムタムだけでいいのかもしれない」

「ソムタムね!」

「少なくとも今の時点では、ということだけど」

「……あなたって面白い人ね」

「僕は凡人だよ。どこにでもいる、取るに足りない人間だ」

「昼食にソムタムだけ頼む日本人男性なんて初めて見たわ、今日ってこのあと何か予定はある?」

「あるといえばあるし、ないといえばない。それは僕が決めることじゃないから」

「じゃあ私と軽くバーにでもいかない? ソイ31に素敵なお店ができたのよ。あなたと行くなら悪くないわ」

「わりにどうでもいいことだけど、僕はお酒が飲めないんだ」

「そんなのいいじゃない! じゃあ決まりね! あとで連絡するから何か連絡のつくものは持ってる?」

このとき、僕のあたまに思い浮かんだのは、以下のようなことだった。

早くソムタムが食べたい。


神田桂一
大阪生まれ。ライター・編集者。『ケトル』『POPEYE』『BRUTUS』などで執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・菊池良氏と共著)。ガチャピン好き。お仕事の依頼はpokkee@gmail.comまで。

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