チェンマイに一軒の家を借り、テラスの鉢植えでガジュマルを育てている老人がいた。まだ30センチほどの高さしかないそのガジュマルには特別な意味があった。
自分が死んだら、大きくなっているだろうガジュマルの木の下に体を埋めてほしい……。老人は自分の墓標を育てていたわけだ。
いまでこそ樹木葬というスタイルはさほど珍しくないが、この話を聞いたのは20年以上も前だ。
「羊は死期を悟ると、木の下に移動するんだそうです。そして木の下に横たわって死んでいく。すると羊の体が木の栄養になる」
「羊のように……?」
新里愛蔵といった。60歳代の後半にさしかかっていた。彼の半生を本にまとめようと思った。話を訊くためにチェンマイに向かうことが多くなった。
彼に樹木葬を連想させたチェンマイという街……。少しわかるような気がした。バンコクを発った飛行機が、チェンマイにさしかかり、雲を抜けると、突然、森が眼下に広がる。バンコクのそれは水田だと思うが、チェンマイは森、樹木なのだ。
樹木が発する気のようなものがあるのだろうか。そして愛蔵はなぜ、その木にガジュマルを選んだのだろうか。ガジュマルは中国語で榕樹と書く。その日陰に人々が集まってくるという意味だと聞いたことがある。
愛蔵が生まれ育った沖縄も訪ねた。彼は若くして沖縄を離れた。だが、僕は彼が生まれ育った沖縄の屋我地島を訪ねてみたかった。
屋我地島は小さな島だ。沖縄本島の北部、名護から本部半島を突っ切るように進むと屋我地島に渡る橋が見えてくる。
僕はこの島でチェンマイに通じる木が発する気のようなものを探したかった。
島の道を歩いていると、大粒の雨が降ってきた。僕は近くにあった枝を広げた木の下に駆け込んだ。その木はガジュマルに似ていた。立派な木で、脇には「済井出のアコウ」という標識があった。アコウはガジュマルに似た樹木である。
愛蔵はこの島で育った。彼は子供の頃の夜の話をこう話した。
「夜道は暗くて怖かった。そういうときは空を見るんだよ。木がある所は黒い。少し明るいところが木の切れ目。そこに道がある」
愛蔵はチェンマイの夜空に、木の切れ目をみつけたのだろうか。
しかし現実がある。チェンマイは日本の京都に似た気難しいところがある街だ。愛蔵はチェンマイで脳梗塞で倒れ、車椅子の生活になっていた。年金がない彼は、月の出費は2万円というつましい暮らしをつづけていた。それができるチェンマイから離れられないという事情もあった。しかし彼は植木鉢のガジュマルに水をやる暮らしに樹木葬という夢をみていた。チェンマイに木が発する気があるとしたら……それは罪づくりでもある。