昨日の記事を読み直していて高校時代のことを思い出した。あの時代には何人かの数学の先生と出会った。担任も数学の先生であった。
先生はときどき黒板に向かって跳び上がったりされた。「いま教えている解法は重要だ。自分が跳び上がれば、その驚きと一緒に解法が頭の中に固定される可能性がある」、と先生はその不思議な挙動を説明された。
ある先生は手作りの教科書で講義をされた。薄くもないテキストだったが、先生の頭の中にはそれが完全に記憶されているようだった。講義を進めるときまったく教科書を見ないばかりか、質問に対しても、「何ページの右下を見なさい」、というように言われるのであった。
また、ある先生は長い解法を黒板に書いていくうちに、途中のミスのために行き詰ったとき、「なぜ自分のミスを教えないのか」、と怒られた。わたしたちのほうは、ただ黒板の解法を写しているばかりで誰もミスのことなどに気がつかなかったのに、である。
そんな経験が、数学者=変人、というわたしの基本認識の基礎になっているのである。当時の古い友と話してみると、それぞれの記憶に残る先生方の像は一致しない。わたしは、そのころから国語関係の科目には興味があり、先生の講義には疑問をもつことが多かったが、旧友たちは全くそんな齟齬はなかったと言う。ときどき思い出す、何十年も昔のことである。