アジアの路上で深慮浅慮 by 下川裕治
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【第27回】タイでもコンビニでバナナが売られる時代に

下川裕治 下川裕治

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売り出されたときは1本11バーツだった気がする

 

バンコクのコンビニにバナナが置かれるようになったのは、そう、去年の終わり頃ではないかと思う。1本ずつビニール袋に入れられていた。


 「ついにコンビニでバナナか……」


以前、タイ語を習っていたとき、バナナの別の意味を先生が教えてくれた。それは、「平凡」だった。バナナはタイ語でクルアイ、人はコンで、「コン・クルアイ」というと、「平凡な奴」になる。


タイ語の俗語にはなかなか秀逸なものが多い。日本語では雷魚などといわれるプラーチョーンには、「ペニス」の意味がある。その理由はこういうことらしい。

 「見た目はグロテスクだが、中身は淡白」
タイ人の男はそうなのだろうか。


話はバナナである。
日本では昔、バナナは南国暮らしの話をするときによく登場した。
 「腹が減ったら、庭の勝手に生えているバナナを食べればいいんでしょ」

バナナがまだ貴重だった時代、バナナは南国ののんびりとした暮らしを語るアイテムでもあった。


それほどではないにしても、タイではバナナはそのへんに生えているという感覚はある。老人はこういうのかもしれない。
 「バナナは買って食べるものじゃない」


先日、飛行機のなかで、『お父さんと伊藤さん』という映画を観た。同棲中の娘の家に、定年退職した父親が同居するストーリー。娘が柿を買ってきたところを見て、お父さんはこういう。

 「柿は買って食べるものじゃありません」

世代ギャップが生んだセリフだが、同じような会話がバンコクでも交わされているような気がする。


コンビニでバナナが売られるようになった背景には、バナナの高騰があるともいわれている。しかし1本8バーツという値段には僕も抵抗感がある。バンコクの常宿の近くの市場では、ひと房10バーツほどで売られているからだ。
こうしてバンコクの都市文化が形つくられていく。バンコクのコンビニは、いつも悩みの場である。

(2017年6月20日ダコ459号掲載)





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下川裕治

しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。

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