アジアの路上で深慮浅慮 by 下川裕治
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【第26回】心の豊かさを求めて チベット仏教に傾倒する中国人

下川裕治 下川裕治

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ポタラ宮を一周する巡礼路。1時間ほどで一周できる

 

冬のチベット。ラサは思ったほど寒くなかった。標高は3600メートルを超えるが、日射しは意外に強い。日だまりでぼんやりすることができる。


訪ねたのは昨年の12月だった。ちょうど巡礼日だった。チベット各地から、人々がラサに集まってくる。ラサにはいくつもの巡礼路が張り巡らされている。人々はそこを、お経を唱えながら歩く。


チベットは中国の軍事支配のなかに置かれている。中国共産党は、圧倒的な軍事力でチベットを制圧した。逃れたダライ・ラマはインドに亡命政権を立てている。チベットに残った人々は、声を潜めるようにして暮らしているが、彼らは巡礼路を歩きながらこんな言葉を口にする。


 「形のないものを守って生きています」
それはいまの中国に対する、痛切な反発にも映る。


巡礼路の脇には物乞いがいる。中国人だという。チベット人は、住むエリアによっては、許可をとらないとラサにくることができないが、中国人は自由に出入りできる。社会主義は宗教に対して否定的だ。物乞いにしたら、仏教世界に生きるチベットのほうが、実入りがいいのだ。


ジョカン寺という世界遺産の寺にも多くのチベット人が巡礼にやってきていた。境内に入ると、経を唱えるチベット僧の脇に、3人の中国人が両手を合わせて祈っていた。帰依した中国人だった。最近、チベット仏教に傾倒する中国人が多いのだという。


中国は急速な経済成長を遂げた。しかし彼らは、どこか寂しげだ。生活が豊かになり、きれいな家に住むことができるようになった勝ち組にその傾向が強い。家族や仕事に悩みを抱えている。心の空洞が埋まらない。フランスの歴史・文化人類学者のエマニュエル・トッドは中国の危機を、「貧困が残されたまま、日本以上の少子高齢化社会を迎えようとしている」と解説する。


そんな不安が中国社会を覆いはじめている。そして求める先が、軍事支配するチベットの宗教だとしたら、それは切ない歴史である。

(2017年5月20日ダコ457号掲載)





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下川裕治

しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。

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