アジアの路上で深慮浅慮 by 下川裕治
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【第24回】インドネシアで日本列車の「第2の人生」後の姿に出合う

下川裕治 下川裕治

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プルワカルタはジャカルタからバンドンに向かう途中にある

 

第2の人生を歩む……。この言葉の背後には、少し傷んできているが、「まだまだ現役」と自分を鼓舞する心境が潜んでいる。しかしこうして、第2の人生の末路を目の当たりにすると、冷酷な現実に口を閉ざすしかない。


インドネシアのプルワカルタ駅。そのホームに立つと、この光景が目の前に現れる。すべて廃車である。インドネシアはそれほど土地が不足しているとは思えないが、こうして廃車はただ積みあげられている。


そしてこの廃車の多くが日本の車両である。日本から海を渡り、インドネシアを走った日本の車両は、こうして南国の強い日射しに晒されている。なかには蔓に覆われはじめている車両もある。


ジャカルタには多くの日本車両が走っている。JRや東京メトロ、東急電鉄などの車両だ。日本とインドネシアの鉄道は、線路の幅が同じである。そのまま走らせることができる。車内も日本時代のままだ。吊り革、広告の場所、行き先表示も「大手町」などという駅名が残っている。


若い頃、この電車に乗って通勤していた。「会社を辞めようか……」。つきあい酒がなかなか終わらず、やっと間に合った終電のなかで、ネクタイを緩めながら呟いていた。その電車がそのままジャカルタを走っていた。


ジャカルタ市内電車の整備は日本の援助で行われた。インドネシア政府にしたら、少ない費用で電車が走ると読んだわけだ。日本にしたら、中古車両の第2の人生を用意できる。ウイン・ウインの事業と政治家は胸を張ったのかもしれないが、それから10年、20年。ついに使うことができなくなった老兵は、プルワカルタ駅に運ばれていくことになる。


ここはジャカルタからなら2時間ほどの距離。日本車両の墓地をつくる土地があったのだろう。
巨大クレーンで積みあげられた車両。最後には金属がさび、崩れていくのだろうか。降り注ぐインドネシアの日射しは残酷でもある。

(2017年3月20日ダコ453号掲載)





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下川裕治

しもかわ・ゆうじ 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。タイ、アジア、沖縄と旅を続ける旅行作家。ダコはじめ各国都市で制作するガイドブック『歩くシリーズ』の監修を務める。

下川裕治
森山 07/08/2017
記事の写真を見て違和感を覚えました。写っている写真には日本車は1両も写っていないようです。確かジャカルタでは昭和44年の旧営団の車両6000系も大事に使われているはずです。日本車が本当に廃車の山になっているのでしょうか?

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